発達障害でも月収100万円以上!ネット物販ビジネス(輸入物販・古着転売)で脱サラして月収110万になるまで。鎌田のストーリー【完全ノーカット版】

ストーリー

初めまして!
このブログを運営している鎌田と申します。
早速、自己紹介【ノーカット版】をさせて頂きたいと思います。

はじめにお伝えします。

ノーカット版なので、ありのままの僕の人生を長文で語っている事をお許しください。


39歳埼玉県在住です。
フランスやイギリス、ドイツ、ルーマニアなど、
主にヨーロッパの国々からアンティーク商材を買い付けたり、
タイから日本人向けに古着を仕入れて販売するビジネスで起業しています。

現在の収入は月収100万円ほど。
元々は会社員で、脱サラしたのが2018年の6月。
起業したのが2019年の2月。
1年少々の短期間で年商2800万円になりました。

専門学校を中退した後、埼玉県のプロパンガス会社に20歳から37歳まで17年間勤めました。
しかし長年にわたる上司からのパワハラで精神的に落ち込み退職。


一念発起し、全く未知の領域だった起業の世界に飛び込みました。
バツイチです。30歳の頃に離婚し、それ以来2人の子供を育てているシングルファザーです。

またASDという障害を抱えています。


一見普通に見えるけど、実は発達障害です。
コミュニケーションが苦手で、人間関係を築くことに苦労してきました。

起業するなんて夢にも思わなかった僕がなぜ起業にしたのか!
そしてズブの素人だった「物販」というジャンルでなぜ成功したのか。


ちょっと前の僕のように、
上司からのパワハラなど、会社での人間関係に悩んでいる人。
会社の収入に不満があり、もっと稼ぎたい!
将来に不安があり、給料以外に副業として何かスキルを身に付けたい人。
家族を旅行に連れて行ったり、子育てにお金を使いたい人。

そして、なんらかの発達障害を持っていて、この健常社会に中々馴染めなく、生き辛さを感じでいる方。
そのような人のために、自分の経験や知識が役に立てばいいなと思い、
見様見真似でブログを立ち上げました。

まず最初の記事として、
僕が歩んできた道のりを語ります。

僕は本当に自信がない男でした。
うだつの上がらない冴えない人生に不満ばかり感じていました。
頭が悪く仕事が覚えられず、上司に怒られてばかりでした。

でもほんの少し勇気を出し、行動することで僕の人生は180度変わりました。
きっとあなたも人生を変えることができるはずです。

鎌田の人生<中学生編>

突然人とコミュニケーションが取れなくなる


小学生までは割と普通に同級生ともコミュニケーションが取れていたのですが、
中学生になると同時に人とうまく話ができなくなりました。

僕は小学生の頃は
ずけずけと言いたい事を言うタイプで、
お調子ものでした。

みんなが盛り上がると、
ますます調子に乗ってしまうタイプです。

中学生になったころ、
アイツ粋がりすぎみたいな感じで、
陰で悪口を言われている事を知り、
凄く落ち込みました。

その結果空気を読みすぎるようになり、
ほとんど出しゃばらなくなりました。


特に思春期の到来で女子を意識するようになり、
極度に苦手意識が高まりました。

自分からは絶対に話しかけられないし、
話しかけられてもちゃんと話せない。
緊張するところが、
自分でもわかってしまうくらいだったので、
周囲から孤立しがちになってしまいました。


でも今振り返ってみると、
自分から女子を寄せ付けないオーラが
出ちゃっていたように思います。

(本当は話したいけど…笑)

自分がめちゃくちゃ頭が悪いことは
すでに自覚していました。

でもその頭の悪さを周囲に隠したくて、
とりわけ女子を遠ざけていました。

頭の中のイメージでは、
普通に女子と話せる自分がいるのですが…笑

女子と普通に話せる友達が、
物凄く羨ましかったです。

いじめに遭い、自分を責め続ける。

中学2年のとき半年くらい集団で無視をされるいじめに遭いました。

僕は小学生からサッカーが大好きで、もちろん部活はサッカー部です。

1993年、ちょうどJリーグが開幕した年で大人気スポーツでした。
僕は、いわゆる司令塔のポジションかフォワードをしていました。
(本番にクソ弱いタイプで公式試合で1点もとった事がありません…汗)
みんなが嫌がるキャプテンもやらされました。

そこで、まさかのいじめに遭いました。
僕は一見、人当たりが良い明るいやつに見えます。
本当は暗いのですが。

男友達からはイジられポジションでした。
端から見ると仲が良い2人に見える、
野球部の友達がいました。

仮に彼をTくんとします。

はじめはただの、
仲の良い友達でした。
でも付き合いが深まるにつれて、
僕が何をされても
ヘラヘラしていることに味を占めて、
2人でいる時のTくんは、
僕をパシリのように
扱うようになっていました。


T君はお金持ちで、
僕の家は貧乏でした。

ある時T君との遊びでお金を使う事になり、
僕はお金がないので帰りたかったのですが、
出してくれるとの事で
断りきれずお金を出してもらいました。

これがきっかけで、
僕たちには上下関係ができてしまいました。

僕はT君に逆らえなくなってしまい、
T君の命令で、
一緒に通っていた塾も
サボりがちになり、
それが親にバレて、
死ぬほど叱られて、
それで逆ギレしてしまい、
家族とも仲が悪くなるような悪循環。

未だに悪い思い出しかありません。


大勢でいる時は僕への扱いは普通だったので、
他の友達は、あいつら仲いいよなと思っていたことでしょう。

僕も自分がいじめられてるなんて、
ダサいから認めたくありません。
Tくん自身もからかい半分でした。
僕が怒るギリギリの所で止めていましたから。

異常に動揺する僕の様子が楽しくて
からかっていたのだと思います。

ASDの症状なのかもしれませんが、
僕は怒りで我を失うと、
「怒り泣き」みたいになって、
客観的にかなりキモいと思います。
弱いものいじめが好きな人には、
僕はストレス解消の道具にちょうど良い存在でした。

振り返ると、脱サラするまでそんな生活が続いていたと思います。

実はいじめの話はこれが入り口です。
Tくんがまず集団いじめの対象になりました。

僕は自分をいじめていた
Tくんみたいな奴でも、
いざ集団無視されてるのを見ていると
可哀想に思いました。

僕はTくんの味方をしながら、
いじめているグループとも話すような
中立の位置にいました。
いじめっこグループからも、

「お前もTは無視しろよ」
と言われたけど、
でもどちらも、
もともとはみんな仲の良い友達だったから、
そういう無意味な争いがすごく嫌いで、
いじめに加担することはできませんでした。

陰口もほぼ言ったことがない
僕の性格を知っていた、いじめっこグループも、
「お前は優しいから無視とかできないか。」
とわかってくれたと思っていました。

ある日、突然いじめっこグループとTくんが仲直りしました。
仲直りの条件が、「僕をみんなで無視する事」。
…あまりに無意味で、あまりに残酷です。

最終的にはみんな仲直りする形にはなりましたが、
このことがきっかけで、
深く人と関わるのが怖くなりました。


でもやっぱり友達は欲しいから、
結局は広く浅くの人間関係しか築けなくなり、
今に至っています。

親友という言葉に憧れましたが…。

現在はビジネス仲間以外、本当に友達がいないです。

希望の高校に全部落ち、電気の専門学校に入学。ヤンキーだらけ!


高校推薦の許可がおりず、急遽自分でも受かりそうな高校の試験を受けました。
僕の住んでいた市で1番レベルが低い公立に落ちて、
第2希望の誰でも受かると言われていた私立も普通に落ちてしまい、
第3希望の何が何でも行きたくないところしか受かりませんでした。

僕はめちゃくちゃ頭が悪いのです…。本当に。

結局僕が進学したのは、高校卒業の資格がとれる電気工事士の専門学校でした。
学費が300万くらい。

元銀行員の母親がすごくケチだった。

16歳になってからバイトを始めるようになりました。
初めてのバイトはパン屋。

その前にバイトの面接に20回落ちた。

コンビニやファミレス、ガソリンスタンドなど。

みんながよくやりそうなやつ。

理由はよくわからないが面接の時の受け答えだと思う。どこ行っても面接担当から聞かれた質問にうまく答えられない。

はい!                      とか、そうですね。しか言えない。

やる気が伝わらなかったんだと思う。        そのパン屋は新規オープンだったので潜り込めた。  そのパン屋で働き始めたタイミングは春休みだった。

週4で働いていたら月7万円。

でもバイトしてたら要領の悪さで店長に虐められるようになる。

おそらくASDの症状が出ていた。

パンによって焼き時間が変わるんだけどそれが全然覚えられなくて何回も聞いたり。

コーンパンのコーンの量を覚えられず何度も同じミスをしたり。パン屋さんは時間勝負なので焦りにつながった。

あまりの覚えられなさに皿洗いをしている時に洗剤を遠くから投げつけられた。

当たらなかったけど当たってたら相当ヤバかった。

同じバイトの女の子が見ていて青ざめていた。バイトではすごく無口で一人で突っ立ってたり。店長はバイトの女の子と話してたりしてましたが、僕は1人でポツンと作業場にいたり、かなり浮いてました。

それでも一応、バイト代が入り稼げるようになると、母親から少しは家にお金を入れなさい!

となり、毎月ではないが親に収めるようになりました。月に1万円くらい。

そういうもんだろと思って反発はしなかった。

この時は家で経営していたピザやも潰れて、トラックの運転手になっていた親父も稼げないといつもぼやいていた。                       ずっと家にはお金がない。             バイク屋の時も。

電気の専門学校は学費がめちゃくちゃ高かった。  300万とか。とにかくお金がない。

多分何千万か借金があった。

だから常にお金の心配をしてた。無駄な金は使うなと細かく教育されていた。金がないというのは刷り込まれた。

専門学校を中退して、一時期バイト生活だけになった時は毎月2・3万は親に納めてました。

よくありがちな光景ですが結構、普通の家庭はそれを将来のためにとか、結婚資金にとかで本当は密かに貯金してくれてたりする話はよく聞いたりしましたが、うちは本当に貧乏で普通に生活費となってました。

ちょっと将来に期待はしていたのですが…汗

そんな期待は見事に裏切られました!

僕は本当に親にお金面に関する事は一切お世話になった事はありません。高校時代の原付免許をとるのも、原付バイクを買うのもお世話になりませんでした。

お金を貯めてから行動しました。

よく20歳位までかかる、運転免許、教習所代とか、アパートを借りるときの敷金・礼金とか親が出してくれたりという話はよく聞きます。

何ひとつお世話になった事はありません。

一括だったり、ローン組むなりして乗りきりました。

僕なりに、そんな思いを心の奥底にしまい、文句言わずにやっているつもりでしたが、しまいには足りないからもっと生活費入れなさい!とかよく言われた物で、親も親戚のおばちゃんとかにその話をしていて、いかにも僕が生活費を入れなさすぎ的に話しているようで、よくこう言われました。

「聡も、働いてるんだから、もう少し生活費入れないと!」的な事を会うたびに言われて、腹立つけど、言い返せなくて、だから母親の親戚がうちに来たりすると、本当にアウェーな雰囲気になり、家に居たくなくて気分は悪くなる事がよくありました。

電気の高等専門学校。暴走族

埼玉、千葉、茨城と各地の暴走族がいた。      96年は現役の暴走族がバリバリいた。
怖くて行きたくなかったけど、実は友達想いで怖いけど、仲良くなるといい奴ばかりで、以外にも友達が結構できた。
いじめがなくなったので中学の時より高校の時の方が楽しかった。

バイトばかりしていた。

結構、いい加減な学校で、先生もあまり、やる気がない。
授業を抜け出して近くのジャスコに行ったりして、
そういうことでヤンキーぶってた!笑        そんな感じで将来のこととか何も考えていなかった。 普通は高校生にもなると、何となく将来の事とかを見据えたり、そこに向かっての行動を多少なりともするのだと思う。

僕は本当に何も考えませんでした。         ただ、友達と遊んで、ゲームして(ドラクエとかスーパーマリオカート)お金も欲しいから苦痛な苦痛なバイトして、(何回もクビ?)というか店長とかの説教に耐えられなくなり、自分からバックレるという最悪な奴でした。高校時代は4箇所くらいアルバイトを転々としましたが、だいたい3ヶ月くらいが限界で、バックレを繰り返してました。まともにアルバイトを辞めた事はありません。

18歳。自動車整備士の専門学校に入学

そんな何も考えない、高校生活を送りながらも電気工事士の専門学校を卒業して、板橋の自動車整備専門学校に進学しました。

僕の高校はみんなが就職する中、僕は絶対に受からないと言われていたけど 車が好きだったので専門学校に進学。

親にも大学は無理にしても就職する前に専門学校に行けと言われていたのがあり、とりあえず専門学校に行ければ親も安心するだろう。

そんな思いから合格する確率10%と言われていた、自動車整備士の国でやっている学費のかからない職業訓練校(2年制の専門学校)に奇跡的に入学する事ができました。親もかなり喜びました「奇跡だよ!」あんな親の喜び方、生まれて初めて経験しました。

まぁ、自分的にもバイトの経験(イジメ)から仕事するのが嫌だったので就職するのも抵抗がありました。

その時は入学できて本当に嬉しく思いました。

でも、いざ学校に通うも授業は難しい、実習作業が細かすぎて手先が不器用な僕にはできない
実習とかやってもできない
車のトランクで寝てて先生に怒られていた
また、この専門学校では同い年の人がいなくて友達ができなかった
学校も車の修理もつまらない
車が好きだけど、車の整備が好きなわけじゃなかったことに気づいた。
誰でも受かる資格に自分だけ落ちたのをきっかけに 一年で辞めた

専門学校を一年で退学し、19歳でフリーターになる

夢はなかった。
専門学校をやめてすっきりした。

親はかなり悲しんだし、あまりのいい加減な僕に無関心になったと思う。

僕には優秀な妹がおり、両親はそんな妹に全力でした。


また、就職した友達はお金持ってて、自分とは差がついてきた。
どこどこで飯食べようとなっても、
月に7万程度しか稼いでいない僕は誘いを断ることが多くなってきた。

地元のガソリンスタンドの個人店でバイトを始めた。
他の時と同じように最初は無口だった。
たまたま同じ中学の先輩がいて、僕は中学時代は先輩嫌いというか、あまり面識はなかったのですが、話しかけてきてくれて、そこで初めてバイト先でコミュニケーションが取れるようになった。

フリーターになって月15万稼げるようになった。
教習所代やバイクの改造費に当てたり。

フリーターは正社員との友達とは違う。
稼いでいる収入は当時はそんなに変わらないけど、
自分の気持ちは不安だった。
ガソスタのバイトは土日も勤務だったので、
正社員でカレンダー通りに働いている友達と時間も合わないので疎遠になっていく。

バイトしてて大丈夫か俺?と不安はあった。
昼2時〜夜10時のシフト。
それからバイト先の先輩とラーメンを食べに行って健康ランドに行く習慣。
夜中の2時に家に帰る。
週末になると先輩にお酒を飲みに行くのに連れ出される。
(自分はお酒飲めないけど)
でも楽しかった。
ただこんな生活スタイルで昼ごろに起きる、だらだらした生活に焦りもあった。

だけど、短かくも平凡な幸せを楽しめた時代だった。

念願の正社員。そこで待ち受けていたものは

ガソリンスタンドでバイトして1年半。
先輩に、
「バイトずっとやってるんだったら、他にやりたいこともないなら正社員になった方がいいよ」
と勧められた。所長に言ってくれた。
またこの人間関係の良い勤務先から離れ、
転職活動をするのが面倒だったので乗ることにした。

ガソスタは単純作業だから自分にもできた。
給油作業とオイル交換。
チェーン店でもない小さい個人店だったので、
すんなり正社員になれた。

1999年10月に正社員になる。
2000年5月いっぱいで突然ガソスタが潰れた。

寝耳に水だった。
潰れる3ヶ月前に3人の社員が集められた。
そこで発表。

他の社員は「前からなんとなくわかってたよ」

正社員に誘ってくれた先輩が
「正社員になって半年で会社潰れるとかたまったもんじゃねーよな」
と声をかけてくれた。
グループ会社のガス部門に入ることになった。
家族経営で全社員を合わせても六人という零細企業でした。

僕を社員にしてくれたその先輩たちともバラバラになってしまった。

20歳、正社員としてガスの仕事をするようになる。
毎月集金したり、サポートでお客様の訪問をしたりするだけだから、
結構楽だよ、と言われていた。

でも実際は営業の仕事が大変だった。
それを僕に教えるのが上司だった。

この上司からのパワハラに17年もの長い間悩まされることになる。

最初のころ上司は、「俺がお前を育ててやる」みたいに気合が入っていた。
人から期待されることがなかったので、がんばらなきゃと思った。
ガスの配達も、工事も、営業も、事務処理も、なんでもできるようになれ。
じゃないと一人前とは呼べないと教育された。

親には「何をやるにしても最低3年間は我慢しろ」と言われていた。

入って3ヶ月頃にはかなりあたりがきつくなっていた。
無精髭や茶髪など身嗜みをいじられる。
「別にそんな大したことじゃないじゃん」と思っていた。
その次の日は髭を剃って出社するけど、また忘れて無精髭で出社して怒られる。
僕も馬鹿だった。
ワイシャツのボタンを1個目外していたり、腰パンとか、
だらしない感じ。
今考えればパワハラを受ける僕に原因があったのだが、
その当時は「なんで俺がこんなに怒られなきゃいけないんだ」と思っていた。

何度注意してもダメだと諦められるものだが、
この上司はしつこかった。

ある日、僕の無精髭を見てその上司が殴りかかってきた。
その時は近くにいた社員が止めた。
「鎌田くんも悪いけどそこまで怒ることのことはしていないでしょう」

遅刻。8時から仕事だから7時50分に通勤しても怒られる。

本来の勤務時間は8:30〜17:30の8時間労働なのですが
なぜか8時出勤で7時50分に通勤しても怒られる! 遅くとも20分前には出勤して準備をしろ!

えっ!だって本来は8:30なのに… 負に落ちませんでした。

それだけではなく、残業手当ても19:00までいないと残業代が出ない。              
だからといって17:30に帰ろうとしても、
上司からの「定時で帰るな」という雰囲気で帰れません。
なぜか特定の人以外、誰も定時で帰宅しないので当然、僕のような下っ端は帰れません。
結局毎日、残業代が出ないギリギリの18:40分くらいまで仕事をさせられていました。

それでいて、8時1分❗️遅刻

1分の遅刻をしようもんなら社長室に連れてかれて
1時間くらいの鬼の説教です。
遅刻をした僕が悪いとはいえ…。

そして会社での配属先はまさかの営業でした。

本音を言えば、コミュ障の僕は人と接しないライン作業か、
1人で運転するルート配送員とかがいいと思っていました。

だから営業は本当に地獄のように辛かったです。

結局退職するまで17年間ガスの営業をしましたが、
僕の営業能力は健常者の3年目程度にしかなりませんでした。

入社10年目にして、初めて後輩ができる。
その後輩はいずれ僕の上を行く社長の息子ですが…

そこでもパワハラエスカレート

そして入社13年目に会社の規模が大きくなり、
営業部と工事部が分かれました。そこからのパワハラは史上最強でした。

営業部は僕含めて3人。
他の社員はそれほど怒られないのに、
僕への圧力は相当なものでした。

上司からの圧力が怖かったので必死に頑張りました。
ただ僕の営業成績は極端で、
売上げがズバ抜けて多い月もあれば0円の時もありました。

会社の敷地には僕が勤務していたガス会社の他に3社の会社が入っており、
その3社の会社員に毎日、僕が説教されてる上司の怒鳴り声が聞こえていたそうで、
僕がネガティブなオーラをだして敷地を歩いていると慰めの声をかけてくれるくらいでした。

これが17年間…
このひどいパワハラの一部しか見てない、
他の会社の人ですら口を揃えていうのが、
あの上司は本気で頭がおかしい。
あんなパワハラ、普通は3ヶ月ももたない。
耐えられなくて辞めるよ!と。

普通の人なら3ヶ月も持たないような過酷なパワハラを僕は17年間も…。
完全に麻痺していました。
僕にとってははじめて就職した会社だし、
転職もした事ないし、
バイトの面接に落ちまくった地獄を考えると、
他の会社に就職できるとも思えない。

これが当たり前と思っていました。
思うしかありませんでした。

中途で入社してきた年上の社員さん(工事部)も、
「あの上司の君へのパワハラはヤバいね。見たことない。
周りからいい会社と聞いて入ったのに、
給料も前の会社より下がったよ。面接の時と話が違うんだよな」

と後悔していました。

その方(Tさん)は僕の愚痴を聞いてくれたのが本当に救いでした。

僕の給料は手取りでずっと20万円でした。

僕は23歳の時に結婚をして、子供も2人授かりました。 僕の収入だけでは到底足りないので奥さんはパート三昧でした。よく文句も言わず我慢してくれました。

当然の事ですが、僕の頼りなさに離婚する事になりました。僕が子供を引き取る形にはなりましたが、決して彼女に非はありません。


中途で入社してきたTさんよりも低賃金でした。
そして、2人の子供を育てる父子家庭の僕には、
手取り20万の給料は本当に厳しくて、
子供に習い事もろくにさせらないし、
惨めな思いをさせていました。

月に1.2回の楽しみはファミレスのガストでの外食。
注文するのはお子様ランチのセット。
クーポンで190円でした。

挙げ句の果てには中途で入社してきたTさんよりも低賃金でした。

そして勇気を出して、震える口で
「もっと頑張りますから給料を上げてくれませんか?と伝えると、
1万円上げてくれました。ガッカリしました。
残業代(80時間)を正規に計算すれば手取りで30万円はいっているはずです。

地獄の未来しか見えませんでした。

仕事ができなさすぎ、精神的に追い詰められる

僕はガスの営業部なのですが、
なぜかガスの工事もさせられていました。
とにかくガス工事がある日は、この17年間、苦痛でした。
持病のASD(アスペルガー)の影響で、
できないこと、苦手なことが健常者の数倍あるのです。

まず、道具の名前が覚えられません。

親方に、「何々持ってきて」と言われても、
どれを持っていけばいいのかわかりません。

特に親方に怒られるのは怖いし、
怖いと思うと余計に緊張してわからなくなります。

何回聞いても覚えられない。

さすがに今度間違えたらマジでやばいと思っていて、
自分では絶対に覚えたつもりでも、
いざ実際に指示されると緊張と怖さとで忘れてしまう…。
そんなことの繰り返しでした。

怒られるのが怖くてどれですか?と聞けず、
何十分も工具の場所にい続けて、
痺れを切らした親方自ら、
道具置場にきて道具を持っていき作業

僕はいる意味が全くない。

そもそも親方が作業するのではなく、
僕が工事作業ができれば親方は他の仕事ができる。

いつまでも教えられる立場を卒業できませんでした。

ガス給湯器の取り付け工事は、
その工事自体は基本的には同じ作業です。
でも、各家庭で取付状況が違うため、
微妙に違う工程があったり無かったりするんです。

僕は発達障害です。
工事の手順が、
少しでもいつもと違った状況になると、
僕にとっては新しい作業をすることと同じ。
全てがリセットされます。

だからあたふたして、ミスを連発し、
お客様にも、一緒に作業する同僚にも迷惑をかける。

そもそもガスの取り付け工事なんて、
誰でも1人ですぐにできるようになる
簡単な作業なのです…。

でも僕は、1人では緊張と不安で何年経ってもできず、
誰かに付作業を付き添ってもらわないとできないほど、
工事の作業は大の苦手でした。

道具や部品の買い物もできません。
2本と頼まれたのに1本しか買わなかったりとか、
そんなことはしょっちゅうでした。
そしてそれを上司に報告すると、
「バカ!」「死ね!」
などの罵詈雑言。

僕自身に問題はあることはわかっていましたが、
それでも暴言を吐かれる度にやはりひどいショックを受けました。

一番辛かったのは、月1の社内における
全体会議での公開説教でした。

朝7:30開始で12:00時に終わる長時間の会議だったのですが、
これが僕への説教で始まり、
説教で終わるのです。
毎回。

さらに週1で行われる、
8:30〜12:00の営業部会議。

週始めの憂鬱な週間会議。

社員が30人もいない零細企業なのに、
無駄な打ち合わせだらけ‼️

この全ての打ち合わせで標的にされるのは僕です。

僕は勤続年数が長いので、
後輩や僕より後から入ってきた社員も数人いました。

なのに、どんな時でも標的は僕です。

まるで生贄のように、
僕だけが上司に怒られる。

気にしていないふりをして、
ヘラヘラしていましたが、
本当は悔しくてしょうがない。
いつもはらわたが煮えくりかえっていました。

社員のみんなに、
「大丈夫か?あんなに怒られて。」
と慰められるが、怒られてる自分がダサいし、
そんな所をみんなに見られてるのも凄く辛い。

本当は一発、上司をギャフンと言わせたいけど、
うまく喋れないからできない。

だから笑顔でいるしかない。
中学生の時のいじめと、
全く同じ構図です。
何も僕は成長していない。

30才過ぎのいい大人が学生みたいな怒鳴られ方をして、
本当はすごく辛いけど、
そんな現場を新人の社員や女性社員に見られて、
何も言えない… 

そんな自分がダサいし、嫌い。
20年間ほぼ毎日だし、
時には本当に辛すぎて、
みんなの前で泣いた事もあります。

僕をしつこくいじめていた上司は絶対的な存在だから、誰も文句を言えない…。
兄貴である社長でさえも!

だから誰も助けてくれない。

こんな状況が17年間も続きました。
どう考えても普通じゃなさすぎのに、
本当に僕の感覚が麻痺していました…。

読書、筋トレ、禁煙に挑戦してみた。

入社14年目。
人10倍我慢できる僕でも、
長期にわたるパワハラにより、
ついに限界を迎えてしまいました。

もうこれ以上は会社員無理だ。
やってられない。
でも、どうしよう…。

まず思ったことは、
自分自身を変えたい、ということ。
180度変わりたい。
別人になりたい。
生まれ変わりたい。
そう心の底から思いました。

でも、僕のいじめられやすい性格は、
根本的にどのように変えていけばいいのか?
どうすればいいのか全然わかりません。
いきなり途方に暮れてしまいました。

僕はそれまでの人生の中で、
本を読むと言う行為はしてきませんでした。

何をすればいいかわからなかったので、
とりあえず本屋で適当に、
自己啓発的な本を買って、
読んでみました。

すると見事にハマりました。

自分を好きになる方法。

ナポレオンヒルの、
思考は現実化する。

それから、
様々な営業トークに関する本。

読書と並行して、
なぜか筋トレも始めました。

生まれてそれまで、
筋トレなどした事がなくて、
ヒョロヒョロだった僕ですが、
我流で筋トレに挑戦。
それなりに筋肉がつき、

こんな自分でもやればできる!と、
凄く自分に自信がつきました。

ストレスから、
1日2箱吸うようなヘビースモーカーでしたが、
禁煙にも挑戦してみました。

禁煙だけは自分には絶対できないと思い込んでましたが、
あっさり禁煙にも成功しました。

えー!
意外と俺やるじゃん。
物凄く自信がつきました。

自分を変えたい!
その一心で始めた、
読書、筋トレ、禁煙。
これらのことをきっかけに、
挑戦する事の楽しさを少し知った気がします。

恋愛の情報商材を買う。

今から思えば、
これが人生を変える一番のポイントだったのかもしれません。

なぜか次は、
恋愛の情報商材を買ってみました。
値段は5000円。

当時の僕には高すぎて、
震える手でクリックして購入した事を今でも覚えております。

僕はファッションにも無頓着でしたし、
コミュニケーションも大の苦手だったために、
女性とうまく会話ができず、
好きな女性ができても
すぐ会話が止まっていました。

そんな恋愛にもダメな自分を克服したい。
自分を理解してくれる、
理想的な彼女と巡り会いたい!

この恋愛の情報商材には、
だいたいの女性の気持ちとか、
男がやりがちな女性に嫌われる行動などが紹介されていて、
何もかもが新鮮でした。

恋愛に関しても、
これまで勉強なんてしたことがなかったので、
自分の知らなかった事が
次から次へと頭に入っていくのが凄く楽しかったです。

そして次に、
3万円のオナ禁教材。

オナニーばかりしていた僕にとって、
そのオナニーをしないなんて、
まさに未知な世界です!

正直、奥手な僕は、
女性経験が極端に少なかったので、
色んな意味で男としての自信がありませんでした。

ここでの勉強も僕にとっては物凄い価値がありました。

その教材で書かれていたことは、
衝撃的なことばかりでした。

オナ禁をする事で、エネルギッシュでパワフルな人間になれる。

オナ禁と同時に筋トレと食事療法も取り入れることで、
お金がなくても健康的で、
女の子にモテるカッコいいボディラインが維持できる。

さらにフェロモン効果も出て、
自然と女性の方からあなたの虜になります。的な。

それはさすがに嘘だろ!と思いつつも、
信じてやっていたら、
まさかの取り組んで2か月目で彼女ができてしまい、
本当に効果抜群すぎてビックリしました。

相変わらず会社でパワハラとかはされ続けていましたが、
かなり人生が良い方向に傾いていっているのがわかりました。

そしてオナ禁と同時期に、
こちらも5万円のセックススクールという教材も購入していて、
これもかなり爆発的な効果がありました。

スクール中に彼女ができてしまい、
完全体じゃない自分にあたふたするも、
これまでインプットしてきた、
恋愛・オナ禁・セックスの極意みたいな事をふんだんに発揮できるチャンス。
生まれて初めて彼女を満足させてあげる事ができました。

そして僕も、
相手の女性を本当の意味で
全て愛することができました。

勉強することで、
プライベート面では
かなり人間として、
男として、
成長が実感できていました。

でも仕事では相変わらず、パワハラに苦しむ日々。
やはりこのままじゃ、劇的に人生は変わらない…。

チャレンジ精神・行動力は確実に変わった!
だからここからが本当の意味でのチャレンジ!

やはり起業に挑戦して、
自分の力で稼いで人生を変えなくてはいけない。

そうしないと結局何も変わらない!

自分も変わりたいし、
彼女も幸せにしたい!

なによりもパワハラから一刻も早く解放されて、
自由な人生を掴みたい!

この想いが一層強くなりました。

無在庫転売の教材に騙され、鬱…

そしていよいよ、本格的にビジネスを学ぶため、
マネーセンスというこれも数万円の教材を購入しました。
貯金が減りまくりです。


この教材でお金の使い方を学び、
より一層、自己投資の大切さを教わりました。
この時期は精神的に限界を迎えていて、
一刻も早く会社を辞めたいと焦っていました。

この時、鎌田は35歳でした。

しかし、ここで僕はしくじります。
今思えばかなり怪しい、
というか完全に詐欺商材でしたが、
無在庫転売3クリックで月収300万円!

楽に稼げそうなキャッチーな言葉に、
つい心を奪われてしまい、
30万円の高額な教材を購入してしまいました。


見事に失敗しました

僕はASDという障害のせいか、
言葉をそのまま受け止めてしまいます。

この教材も、本当に3クリックで作業が終わり、
で稼げる物だと思っていました。

3回クリックするだけで300万円も稼げるなんて最高じゃん!!
時間がない僕にはうってつけのビジネスだ!!
これでガツンと稼げる!

こんなアホ丸出しの
人生パラダイスな妄想が頭を離れませんでした。

しかし蓋を開けると、
商売を始めるまでにも何十個ものヤフーショップのアカウントを作成して登録して、
マニュアル通りにやっているつもりでも
赤文字の承認できませんの連発で半泣き状態。

ようやく登録できたと思っても、
そこからが本当の地獄でした。

商品を1日に何百個も出品しなくてはいけない。
全然3クリックじゃない…。

そして無在庫転売故の問題もたくさんありました。
いざ購入されて、その商品を仕入れに行くと売り切れていたり、
値上がりしていたりでお客様に送ることができず、
キャンセル・クレームの嵐。

それでも月に数十万円分販売。
ビックリしたのは、全然儲からないこと。
多い時は利益2万円とか、
やばい時は数千円でした。

副業でしたので寝る間を惜しんでやっていましたが、
時間の割には合わなすぎる収益!

聞いていた話と全然違う。
ほとんど詐欺でした。

結局最終的には、
ヤフーショッピングで僕のショップのクレーム件数が多すぎて
2度目の出品制限を機にアカウントを削除されてしまいました。

終わった…。

そして30万円という
高額の教材費だけ分割で払い続けるという
悲惨な目に遭いました。

本業ではパワハラ、
副業ではクレームの嵐でマジで鬱状態でした。

病院に行けば鬱病と診断されてたかも知れません。

この失敗で
もう二度と副業をしないと誓いました。

人生諦めた。そんな時…

やっぱり頭の悪い僕には自分の力で稼ぐなんて無理だ。
大人しく本業でパワハラされ続けて生きてくしかない。

この年だし転職も厳しい。
もし転職できても、
どうせまたそこでも
パワハラを受けるに決まってる。

今でも既に手取り20万という安月給な上に、
転職して更に安月給になってしまう可能性もある…

そう思うと、とても行動する勇気は出なくなりました。
今までの経験則が僕を縛りつけました。

鎌田よ、諦めろ。
これが現実だ。
人生そんなに甘くない。

そんなふうに心の中の僕が言っていました。

だから、このまま何も変わらず、
会社でパワハラを受けて我慢して、
人前で泣いて恥をかく。
家に帰って、
疲れとストレス、イライラで
子供や家族に八つ当たりする。

どれだけ頑張っても、耐えても、
会社でも家族にも嫌われて、
でも仕事を頑張るのが父親の務め。

子供には、
頑張ってるけどいつも辛そうな父親の背中を見せて、
こうやって社会人として人生耐えていくんだぞ!
と教える。

死ぬほど辛い。
めちゃくちゃしんどい。
心がぽっきり折れそうだ。
でもこれが僕の現実で、
こうやって生きていく以外に方法はない…。

そう思い込むしかありませんでした。

もう人生の80%以上は諦めてました。

でも心のどこかで、
キッパリと諦めきれない自分もいました。

そんなある日、YouTubeで1つの衝撃的な動画に出会いました。
これが僕の人生を大きく劇的に変えてくれたのです。

それが輸入物販でした。

輸入物販の先生、師匠との出会い。

k先生の第一印象は、
僕と同じような、
ごく普通のどこにでもいるおじさん。

その方が、フリマアプリで
月収100万円以上を稼ぐというのです。

そして、どう見ても、
醸し出すオーラからしても、
とても嘘をつく人に見えませんでした。

動画をみてピンと来た僕は、
物凄く親近感を抱き、
すぐさまコンビニに車を止めて
k先生にコンタクトをとりました。

するとすぐに連絡がきて、
舞い上がりました!

それまでは、
無在庫転売で大損をしてしまった僕は、
もうビジネスなんて絶対にやらないと思っていました。

でも k先生だけは、
何も疑う事なくやりとりをしました。
信用できると思いました。

k先生は僕の最初の師匠です。

そして、今までに考えた事もない
考え方を教えてくれました。

それまで、僕の中では、
労働=収入
でした。

お金を稼ぐには、
とにかく自分が働くしかない。
そう思い込んで、
会社員として
がむしゃらに働いてきました。

でも k先生の教えるビジネスは全然違いました。

ネットのレバレッジを使い、
仕組みを作れば、
時間をあまりかけなくても商品は勝手に売れ続けていく。

だから自分が労働し続ける必要はない。
寝ている間も、他のことをしていても
チャリーンとお金を稼げる!

こんな世界があるのか…。

僕の固定観念が180°変わった瞬間でした。

36歳、会社を退職、輸入物販で起業。


2017年6月。
36歳の時。

k先生の元で、
5万円の教材を買って、
輸入物販を始めました。


初めて半年間は、
家の不用品や自己アフィリエイトをして
20万円くらいの資金を作りました。

知識も溜まって来たので、
初めて輸入してみました。
調子に乗って60万円分です。

こうして本格的に
ビジネスを始めようとした瞬間に、
ヤフオクのアカウントが削除され、
真っ青になりました。

無在庫転売を
ヤフーショッピングでしていたため、
ヤフオクと紐づいていたのです。

ヤフオクが使えないのなら、
他の販路を使うしかないので、
メルカリでやることに。


メルカリをやってみると、
お客さんとの値下げ交渉のやりとりが
僕には楽しく感じました。

それまでのネットビジネスのイメージは、
無在庫転売のせいで
機械的にやり取りするイメージだったのですが、
メルカリは直接のコミュニケーションがあります。

良い商品を売り、
買ってくれたお客さんに感謝されるのが
とてもやりがいに感じました。
それとともに、
輸入物販の流れが理解できて楽しくなりました。

半自動的な輸入物販ビジネスを学び、
初めて利益が出た時の嬉しさは一生忘れません。

初めの頃はほとんど利益が出なかったけど、
とにかく商品を仕入れ、
お金をずっと回していました。

・輸入物販を初め1ヶ月目は3万の利益。
・3ヶ月目は本業とほぼ同じ20万の利益。
・4ヶ月にして本業を超える35万の利益。

それで舞い上がってしまって、
いきなり会社に退職届を出しました。
パワハラに耐えられなくて
しょうがなかったというのもあります。

なんと輸入物販を初めて
わずか半年後の2018年の6月。
38歳で念願の脱サラができてしまいました。

僕自身が一番驚いています。

それから平均的に40万くらいの
利益は出せるようになり、
10ヶ月目に65万、
そしてわずか1年で、
最高月収は110万円に達しました。

脱サラ後の生活。輸入物販と古着転売

会社員の時は、
パワハラされまくっていたせいで
自分に自信などひとかけらもありませんでした。

でも、輸入物販を初め、
こんな世界もあるんだと
目から鱗でした。

こんな自分でも、
お客様に喜んでもらうことができる。

そして、輸入物販が安定したので、
さらに第二の収入の柱を見つけました。

それが古着転売です。
僕には古着転売も別の先生がいて、それはs先生です。

s先生とはタイで出会いました。
古着転売はまだ初めて半年足らずですが、
すでに安定して月に20〜30万円を稼ぐ事ができています。

輸入物販と古着転売。
2つの柱で、安定して月収80万円〜100万円を稼いでいます。

少しのお金の余裕ができ、
子供達に好きなものを買ってあげたり、
はじめて2泊3日で、
大阪のUSJに遊びに行くこともできました。

そして師匠や
輸入物販仲間と海外でのセミナーにも行きました。

僕にとっては初めての海外でした。

1年間で3回も行ってしまいました。

マレーシアとタイを2回。

そこで新たなビジネスルートを広げたり、
またこのビジネスで稼いだ
お金の一部で寄付活動もさせていただき、
いろいろな事を
経験させていただいております。

自分の好きな時間に
ビジネスを取り入れて、
今まで忙しくてあまりできなかった
趣味のフットサルや、
念願のスポーツジムにも
頻繁に通えるようになりました。

家族たちとの関係も変わりました。
子供たちに、パパ!
最近、凄く優しくなったし、
面白くなったし、
怒らなくなった!

今のパパ大好き!

と言われるようになり、
凄く嬉しかったです。

今思うと、サラリーマン時代は
やっぱり精神的にかなりやられてんだな!

と改めて感じました。

脱サラして、
すごく気持ちが明るく、
解放されました!

収入も安定して、
まだまだ自分の努力次第で
爆発的に成長する未来も見えてきました。

会社員時代は想像できなかったことが
今はリアルに想像できています。

それが今の心境です。

僕は人の何倍も失敗ばかりしてきた人生ですが、
失敗ばかりだったからこそ成長できたと
思っています。

こんな自分でも明るい未来がつかめました。
これからも挑戦していく人生にしたいです。

僕から伝えたいこと。

k先生とs先生に出会えて、
僕の人生はガラリとハッピーになりました。

先生方は僕にあったペースで
成功へステップを導いてくれて、
今も導き続けてくれてます。

絶対に1人では実現できなかったし、
例え、できたとしても
何十年も時間がかかったかもしれません。

お金より何より、
時間が大事なんだ!

という事も痛感しています。

人に頼ってはいけない!

僕はパソコンスキルも全くなく、
本当に何もかもが
初心者からのスタートでしたが、
人生最大の危機から
救ってくれた事を
ものすごく感謝しています。

この文章を読んでくださっているあなたも、
何かしら辛い状況の中で行動されていることと思います。

先生選びは物凄く大事です。
そして自分を信じて行動できれば、
絶対に幸せな未来が待っていますので、
一緒に頑張りましょう。

こちらも覗いてくれると嬉しいです!

鎌田から記事の終盤に期間限定の無料特典あり!(枠が埋まり次第、削除しますのでお早めにゲットして下さい)

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輸入物販と古着転売で月収110万を稼いで脱サラした発達障害(ASD)をもつシングルファザーのブログ

コメント

  1. Royal CBD より:

    A motivating discussion is definitely worth comment.
    I think that you need to publish more about this issue, it may not
    be a taboo subject but usually people don’t talk about
    such subjects. To the next! Kind regards!!

    Stop by my blog – Royal CBD

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